なぜ、デザインとゼンタングルか

ゼンタングルに出会ったのは2015年の6月頃と思いますが、当時の常駐クライアント先の職場近くにある本屋で、たまたまゼンタングルの本を見つけたのがきっかけでした。

細かい模様(パターンアート)が書かれていて、結構きれいで、簡単な描き方の解説も付いている本でした。パターンアートのような繊細な模様を描くのは、憧れはあってもやり方がわからなかったので興味を持ち、なんとなくネットで調べてなんとなく初めての教室に行ってみました。

今ではテキトーに描いてゆるく楽しいゼンタングルですが、当時の私は教室でも仕事と混同してしまい、「上手く描けなかったらどうしよう」「描きたいタングルがみつからない、どうしよう」と悩んでしまって、全く手が進まなかったのを覚えています。

そんな私に先生は「テキトーに描くのがゼンタングル」と仰り、とりあえず受講生全員の描いているものを手放しで全肯定し、教室のゆるい雰囲気もあいまって、「あ、こんなんだけどこれでいいのかな、これでいいなら、集中するし確かにリラックスできて、いいな」となんとなく思いました。

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「No Mistakes」というのがゼンタングルの大きな柱となる考え方としてあります。「描き間違いという概念は存在しない。たとえ描き間違えたように見えてもそれはいい意味で自分の作品がもっと面白くなるチャンスだったりする」

「人生に消しゴムが存在しないのと同じように、ゼンタングルの作品も人生のメタファー。ゆえにゼンタングルでは消しゴムを使いません」

「ゼンタングルは、『赦しのアート』ともいえる様式を持っている」

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デザイン会社で修行していた頃、デザイナーの世界があまりにコンペティティブで、常に誰かと比べられ、優劣を競わさせられ、優れていなければ仕事がとれないという日常に、私は磨耗していて、最終的には上司からのパワハラで会社を辞めて、心療内科に4か月通いながら、実家に引きこもるという経験をしています。好きでなったはずの職業なのに、あまりにもボロボロになってしまいました。「4ヶ月で復帰できるなんて早いじゃん、いいじゃん」と多くの人に言われましたが、個人のメンタルの問題なので期間の問題ではないし、私自身はこの経験を以って「自分は一度死んだ」と比喩することも多いです。そして、作ることが好きなはずなのに、能力もあるのに、同じような競争社会で磨耗して、潰れていく若いデザイナーが多いことも事実です。

そんな同じ業界の仲間たちが、コンペティティブではない、全てが肯定されるアートの世界があるということを知ったら、多少なりともこの業界で生き抜くための、息抜きのようなものにならないだろうか。これを使えば過去の私と同じような体験をした人が、もしかしたら少しでも楽な気持ちになれるかもしれない、そう思い、渡米して認定講師になることにしました。(ゼンタングルの講師になるには渡米してアメリカで認定講師講座を受けなければなれません)

簡単で、だれにでもできるものをアートといえるのか?という疑問を持つ人がいるのもわかるし、私自身が当初はゼンタングルに対してそう思っていました。だけど簡単で、誰にでも作れて、楽しく美しく、人を助けうるもの、これをアートと呼ばなくてなんと言えば良いのだろうとも思うのです。

否定と隣り合わせの業界で生きる人たちに、全肯定のアートの世界を伝えることで、よりその業界で輝いて貰うことができたら。
デザイナーでなくても、今まで作る側になりたくてもその機会がなかった人達に、気軽に美しいものを作る機会を提供できたら。
そう思いながら、今教室の開講準備を進めています。

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